. 1日目(2012年12月29日)



新幹線で郡山まで行き、高速バスで会津若松駅へ。
一面雪景色でした。この冬初めて雪をみました。でも思ったより寒くなかった。
この日はレンタカーで移動。

(1)会津若松駅
















駅前に白虎隊の像がありました。
















赤べこもあります。

















(2)旧滝沢本陣
まずは旧滝沢本陣へ。冬季は予約しないと入れないので、9:00すぎに予約してました。
旧滝沢本陣は、戊辰戦争では会津藩の本営となったところで、松平容保が白虎隊に出陣を命じた所でもあります。  土方も滞陣し、新選組も出陣を命じられています。
















床がかなり冷えてて寒かった。昔の人も寒かっただろうなあ。
















庭に雪が積もっててきれいです。
















建物内部には、刀傷や弾痕が多数残っています。

































(3)白虎隊伝承史学館
次はすぐ近くにあった白虎隊伝承史学館へ。ところが、行ったら鍵が閉まっていて、もしかしてやってない!?と思ったけど、 電話したら、鍵を開け忘れてましただって。なぜ忘れたし……。でもやっててよかった。
ここには斎藤さんの写真とか、いろいろと新選組関連のものも展示されてます。
あと、大河ドラマの山本八重の銃とかも展示されてて、実際に触れました。
































入口に土方さんの銅像がありました。
















容保様の像もあります。

















(4)白虎隊記念館
近くにもう一つ、白虎隊記念館という資料館があります。
近藤勇の鉢がね、島田魁の袖章などがあります。この袖章は現存するただひとつの「段だらに誠の文字」の資料なんだそうです。
















入口に白虎隊の像が。

































(5)妙国寺
戊辰戦争のとき、会津藩主松平容保が降伏、容保父子が一カ月間入寺謹慎した寺です。
また飯盛山で自刃した白虎隊士の遺体を最初に葬った所でもあります。
















白虎隊士最初の埋葬地
白虎隊の遺体の埋葬は許可されていなかったけれど、あわれに思った吉田伊惣冶がここに仮埋葬したのだそうです。

















(6)天寧寺
ここには近藤勇の墓があります。会津戦争の責任をとって切腹させられた家老萱野権兵衛の墓もあります。
天寧寺は新選組の屯所としても使われました。
















近藤勇の墓と土方歳三慰霊碑
この近藤勇の墓は、松平容保公の命によって建てられたと言われています。土方が当時形見として持ち歩いていた近藤の遺髪を埋めたとも、京でさらされた近藤の首が密かに会津に届けられ、この地に埋められたとも言われています。大河ドラマだと、斎藤さんが容保の命で京都まで近藤の首を取り返しにいってましたね。
この墓は、土方が唯一墓参した近藤の墓なんですよね。なんだか感慨深いです。
隣には土方歳三の慰霊碑もあります。
















近藤勇の辞世の句碑

















(7)会津武家屋敷
家老屋敷(西郷頼母邸)や、佐々木只三郎の墓があります。
ここでは、大河「新選組!」のロケも行われたみたいです。
















家老屋敷(西郷頼母邸)
















お成りの間
家老屋敷(西郷頼母邸)の中の一部屋です。お殿様がおいでになった時だけ使われた部屋らしい。座布団に座ってるのが容保の人形。
















自刃の間
慶応4年8月23日に、西郷頼母の妻や子供たちは、「女が城に居ては足手まといになる。されど、敵の手に落ちて辱めを受けるわけにはいかない」と言い、辞世の句を詠むと、自刃に倒れそうです。
















旧中畑陣屋
東北に残った最後の代官所だそうです。
















茶室
千利休の子、少庵が鶴ヶ城本丸に作った茶室の復元。
















佐々木只三郎の墓
佐々木只三郎は、京都見廻組の与頭をやっていた人です。坂本龍馬を斬ったのはこの佐々木只三郎だといわれてますね。 大河ドラマでも佐々木只三郎が坂本龍馬を暗殺してました。あと、清河八郎を暗殺した人でもあります。

















(8)松平家院内御廟
京都守護職として新選組を預かっていた会津藩主・松平容保の先祖代々の墓です。
会津藩主松平家墓所は、東山温泉入口の手前左側の山裾にあります。
入峰墓所には三代正容公から九代容保公までの神式による巨大な墓碑が立ちならんでいます。
入峰墓所にたどりつくまでには、山を登らないといけないんですが、冬なので雪が足首あたりまで積もっていて、結構大変。 しかも、入口には熊出没注意の張り紙が…。でも、容保の墓が見たかったので、がんばって登りました。
































松平容保の墓
















松平家之墓
照姫はここに改葬されているそうです。

















(9)母成峠
母成峠の戦いは、慶応4年8月21日に起こった会津戦争の戦いの一つで、会津藩境の母成峠を守る旧幕府軍800が新政府軍2200と戦った激戦地です。 旧幕府軍は、兵力及び兵器の差で勝てず敗走し、新政府軍は若松城下に殺到する結果となりました。
会津若松からだと、磐越自動車道で磐梯熱海まで行き、そこから母成グリーンラインという道を行くとたどり着きます。

「戊辰戦役 母成峠古戦場」の碑
母成峠にある駐車場に建っているのですが、冬季は駐車場が雪に埋もれてました…。膝まで雪に埋もれながら石碑の前までたどりつきましたよ。
















東軍殉難者慰霊碑
旧幕府軍(東軍)の死者の遺体は、埋葬することも墓を建てることも禁じられていましたが、鳥や獣によってついばまれて遺体が損壊するため、見かねた地元民達が西軍の目を逃れて密かに遺体を集め埋葬したそうです。その場所はつい最近まで見失われていましたが、郷土史家の努力によって埋葬地が捜索され、昭和53年に殉難者慰霊祭が初めて行われました。現在は慰霊碑が建てられており、裏には会津藩士の他、東軍諸藩の戦死者と並んで6名の新選組隊士の名も刻まれています。
















東軍殉難者埋葬地
完全に雪に埋もれていて、最初はどこにあるかわからなかったほど。膝まで雪に埋もれながら目の前まで行ってきました。
















西郷頼母歌碑
「なき魂も 恨みは晴れてけふよりは  ともに長閑く 天かけるならん」と書いてあります。
この和歌は会津藩家老西郷頼母が明治22年4月24日、阿弥陀寺で会津殉難者慰霊祭が行われる時に詠んだ歌だそうです。

















(10)東山温泉(くつろぎの宿 新瀧に宿泊)
土方は足の傷を治療するために東山温泉で湯治をしたと言われています。
土方歳三ゆかりの湯は「猿の湯」(くつろぎの宿 新瀧(別館 不動滝))の他にも諸説あり、 「きつね湯」と称し会津藩士の保養所だった「向瀧」、会津藩の共同湯があったとされる「瀧の湯」の3つがあげられます。
今回は猿の湯に入ろうとのことで、くつろぎの宿 新瀧に宿泊。
















夕食がとっても豪華でした。
生トロの湯葉刺し、特選国産牛陶板焼き、こづゆ、季節の先付、季節の小鉢、鰊の山椒漬け、八寸六点盛り、茶碗蒸し、地野菜漬け、季節の味噌汁、北会津産コシヒカリ、季節のデザート。
















右にあるのは、こづゆといって、会津の正月料理なんだそうです。
















































































猿の湯
土方も入ったといわれている猿の湯。露天風呂もあって、とっても気持ちよかったです。

























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