. 三日目



9/17(月)ポン・レベック&モンサンミッシェル

この日はオプショナルツアーに申し込んでいて、モンサンミッシェルに行く予定でした。モン・サン・ミッシェルとその湾は世界遺産です。7:20にギャラリー・ラファイエット本館正面玄関前集合だったのですが、はやく着きすぎて6:45くらいにはもう着いちゃってました。朝早すぎて朝ご飯をホテルで食べられなかったのですが、なんだかいいにおいがする方向に歩いて行ったらパン屋さんを発見。7:00に開いたので、パンを購入しました。パン・オ・ショコラとアップルパイです。












バスに乗っていざ出発です。ガイドさんがすごく詳しくフランスの歴史などについて解説してくれて、とても勉強になりました。写真はフランスの高速道路です。












ノルマンディー地方の町、ポン・レベックに立ち寄ります。この地方はリンゴ酒や、塩キャラメル、チーズが有名らしいです。ポン・レベックという名前のチーズを試食したのですが美味しかったです。写真はリンゴの木です。リンゴ酒には、シードル(林檎ジュースを発酵させて作る発泡酒。アルコール度数は2%〜8%)、カルヴァドス(林檎ジュースからつくるブランデー。アルコール度数40~45%。)、ポモー(食前酒。りんごジュースにカルヴァドスを入れて作る。アルコール度数約17%)の三種類があります。












リンゴが落ちてました。












ポン・レベックの町の中心地です。のどかな田舎町って感じ。












町の中心にある教会です。Sainte Famille教会っていうみたい。












教会の内部です。












町の中心の広場で朝市をやってました。写真はイチゴ屋さんです。服とか、ソーセージとか、野菜も売ってました。












ポン・レベックを後にしてモンサンミッシェルに向かいます。写真はアヴランシュの町です。ここは、モンサンミッシェルを建てたオベール司教のいた町です。オベール司教は大天使・ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」との夢のお告げを受けましたが、悪魔の悪戯だと思い信じませんでした。再び同じ夢を見ましたが、また信じませんでした。ついに3度目には大天使はしびれを切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見ました。翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのがモンサンミッシェルの始まりです。












ノルマンディー地方には、「プレ・サレ」という有名な羊さんがいるのですが、顔や手足が黒い羊さんなんです。年に数回の大潮で水没する地であるため、耐塩製の強い植物しか生えておらず、その草を食べて育った仔羊は、潮の香りが独特の風味をもたらしとってもおいしいんだそうです。












モンサンミッシェルが見えてきました。なんだかスライムみたいです…。












だいぶ近づいてきました。左側に見えてる道をシャトルバスで走ってモンサンミッシェルに向かいます。












その前に昼食タイム。モンサンミッシェル名物といえばオムレツ。島に渡ってくる巡礼者のためにボリュームのある食事を提供しようと、マダム・プラールさんが作り出したオムレツです。スフレ状なのであんまり食べた感はしません。これで卵3個分だそうです。












ポーク料理と、キッシュみたいなやつ。












アップルパイ。












いよいよシャトルバスに乗り込んでモンサンミッシェルに向かいます。












シャトルバスを降りるとほんとにすぐ間近!












モンサンミッシェルの入口には、百年戦争の時にイングランド軍が使用した大砲があります。












プラールおばさんのお店です。ここでは卵10個くらい使った巨大オムレツが食べれるみたいです。












オムレツ作りの実演をしてる時もあるみたいですが、残念ながら見られませんでした。












お土産屋さんが所狭しと並んでいます。












右側が大修道院教会、左側が大修道院住居です。それを繋ぐ渡り廊下が映っています。ここには現在13人くらい住んでるらしい。












大修道院教会の塔のてっぺんには、ミカエル像があります。












かなり階段をたくさん登ってやっと西のテラスへ。西のテラスから見た大修道院教会です。












西のテラスから見た砂浜。遠くに見えるトンブレンヌ島は、百年戦争の時にイングランド軍が駐屯していたらしい。でも、モンサンミッシェルの守りが堅すぎてついに落とすことはできなかったのだそう。砂浜を歩くツアーがあって、歩いてる人たちがいます。でも、この砂浜は一歩間違えると蟻地獄みたいに埋まっちゃうらしいので、ガイドがいないと絶対に歩いてはいけないのだそうです。












966年に修道院の建設が本格的に始まり、その後数世紀にわたって増改築が繰り返されてきたため、中世のさまざまな建築様式が混ざり合った独特の造りとなっています。これは大修道院教会の一部の写真ですが、この辺はロマネスク様式。壁が厚くて、窓が小さく、天井が低く、木できていてかまぼこ型です。












ここも大修道院教会の一部ですが、15世紀に再建された部分なので、ゴシック様式です。柱が主体になっていて、天井が高く、窓が大きく、壁が薄いのが特徴。












ここは、「ラ・メルヴェイユ」と呼ばれる部分。ゴシック建築における傑作とたたえられており、この3階部分の13世紀の回廊には、2列に並んだ円柱が交互に立っており、修道士の歩くリズムに合わせて造られたものと言われています。この3階部分(列柱廊)は第一身分(聖職者)専用の場所で、2階部分(騎士の間)は第二身分(貴族)、1階部分(司祭館。現在はお土産売り場。)は第三身分(一般市民)のための場所でした。












修道僧の食堂です。南壁の司教座で一人の僧が読唱する間、他の修道僧は沈黙して食事を取っていました。












迎賓の間です。先ほどの食堂の真下にあり、王や貴族を迎えるための部屋でした。












太柱の礼拝堂です。大修道院教会のゴシック様式になっていた部分の真下で、この窓から上を見ることができます。












これは囚人の食事を運ぶための車です。ここを人間がハムスターの回し車みたいに歩いたそうです。モンサンミッシェルは中世には多くの巡礼者を受け入れていましたが、18世紀に牢獄として使われた歴史があり、修道院内部には労働に使われた大車輪や、死体収容所の跡が残っているんです。修道会はフランス革命時に解散されましたが、牢獄としての役割は続き、政治犯や反体制派の人々がこの島に送られました。1863年に牢獄としての役割を終え、中世芸術を再評価する働きのもと、モンサンミッシェルも再評価されるようになったのです。












ステファヌスのチャペルです。修道院でなくなった人のお葬式のためのチャペルでした。隣には医務室と修道僧の納骨堂がありました。Aは人生の始まり、Ωは人生の終わりを表すそうです。












ここは修道僧の遊歩道です。用途不明の場所だそうです。ロマネスクとゴシックがミックスされたような造りになっています。












騎士の間です。ラ・メルヴェイユの2階部分にあたります。












城壁の方を歩いて帰る途中に、猫を発見しました。モンサンミッシェルの猫かわいい。












サンピエール教会にある、ジャンヌダルクの像です。ジャンヌダルクはモンサンミッシェルを訪れたわけではありませんが、百年戦争での功績をたたえてここに像があるみたいです。












サンピエール教会の内部です。












バスでパリ市内まで戻ってきて、オペラ座のあたりでバスをおります。もう21:00すぎてました。オペラ座の近くのレストランで夕食を食べました。まずはサラダとパンとワイン。












エスカルゴと魚料理です。念願のエスカルゴ食べられて感激しました。すごいおいしいです。












デザートのクレープのフランべとハーモニー・ド・ソルベです。

















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