|
|
<行った場所一覧>
五稜郭
箱館奉行所
箱館戦争の兵士像
梁川公園の榎本武揚之像
亀田八幡宮
中ノ橋
土方歳三最期の地(土方歳三最期の地碑、一本木関門跡)
称名寺跡
称名寺の墓地跡
能量寺(浄玄寺)跡
実行寺跡
丁サオオノ跡
運上所跡
大津屋跡田中正右衛門邸跡
新撰組隊士が登楼した武蔵野楼跡
八幡坂の田本研造の写場跡
山上大神宮跡
地蔵寺
立待岬
十番観音(御殿山)
十二番観音(入江山)
土方歳三函館記念館
寒川
山背泊
湯倉神社
北海道坂本龍馬記念館
トラピスチヌ修道院
★五稜郭
武田斐三郎の像
五稜郭を作った人ですね。
榎本武揚の像
土方歳三の像
五稜郭入口
栄永の刻印
武田斐三郎先生顕彰碑
土方さんが埋葬されたという土饅頭
大砲設置地点
弾薬庫跡
遺骨発見場所
五稜郭裏門
旧幕府軍は裏門から五稜郭に入場したそうです。
大砲を運んだ坂
砲弾発見場所
井戸跡
幕末当時からある木
番号がふってある木はすべて幕末当時からある木だそうです。
奉行所コーヒー
幕末当時の方法で入れたコーヒーだそうです。
五稜郭のお土産
★箱館奉行所
箱館奉行所
大広間
大広間(壹之間)
幕府から新政府軍へ五稜郭引き渡しが行われた部屋だそうです。
榎本武揚の書
★箱館戦争の兵士像
★梁川公園の榎本武揚之像
★亀田八幡宮
亀田八幡宮
箱館戦争降伏式之地碑
御朱印
★中ノ橋
五稜郭と一本木をつなぐ松川街道にかかる橋。
明治2年5月11日後の軍事境界線。
★土方歳三最期の地
歳三桜
日野からもってきた桜らしいです。
土方歳三最期の地碑
ヤチダモの木
一本木という地名のもとになったというヤチダモの木。
亀田川支流跡地
一本木関門のすぐ近く。
一本木関門跡
ここが真の一本木関門跡地だそうです。土方さんはここで亡くなったんですね…。来られてよかったです。
★称名寺跡
函館元町ホテル
新選組の屯所となった称名寺跡のホテルで、今回も宿泊させていただきました。
函館元町ホテルの自動販売機
向かいの弥生小学校
こちらまで称名寺跡でした。
★称名寺の墓地跡
ちょっと離れた場所なんですが、昔墓地はこの辺にあったらしい。新選組史跡辞典によると、函館市青柳町10の潮見中学校あたり。
★能量寺(浄玄寺)跡
東京都日野市の高幡不動の過去帳に、土方歳三の供養碑が能量寺に建てられていたとの話があるそうです。
弥生小学校南側角。
★実行寺跡
明治2年(1869)箱館戦争終結後、旧幕府軍戦死者の遺体が市中に放置されたままになっていた際、侠客柳川熊吉が市内の遺体を回収し、これに実行寺の住職が賛同、寺の境内に埋葬した。(多くの遺体については、後に碧血碑に改葬されている)
★丁サオオノ跡
土方歳三資料館の本によると、函館市大町2-14、15
土方さんの函館での宿舎になった場所。
以前、函館市大町9-4って説を見かけて前回はそっちにいきましたが、こっちがほんとなのかな?
★運上所跡
旧幕府軍の外交の場。現在の海上自衛隊のあたり。
★大津屋跡田中正右衛門邸跡
土方さんが来訪したところ。土方歳三資料館で買った本には下の写真あたりとある。
新選組史跡辞典だと、下の函館市大町12あたりと書いてあった。
★新撰組隊士が登楼した武蔵野楼跡
新選組史跡辞典に豊川稲荷のあたりってのってたんだけど、一般的に武蔵野楼跡は北海道函館市豊川町10-1の池見石油のところだと思うのだけど、
ここという説もあるのか?
★八幡坂の田本研造の写場跡
土方さんたちが写真を撮ったところですね。
函館市末広町18-11との説。
函館市末広町18-9との説。
★山上大神宮跡
現在の西消防署弥生出張所の位置にあった。
函館市弥生町15-11。
桑名藩主がいた場所ですね。
★地蔵寺
背山泊に旧幕府軍戦士者を埋葬したとの記録があり、ここではないかといわれている。伊庭八郎埋葬の可能性もあるとのこと。
とすると、もしかして土方さんも?
★立待岬
新政府軍の黒田清隆はここから上陸したらしいです。
★十番観音(御殿山)
新選組の警備地域でした。いわゆる函館山山頂です。
函館山からの眺め
★十二番観音(入江山)
山頂に大砲を設置したそうです。
★土方歳三函館記念館
再び行ってきました!ここは刀の収蔵品が充実してます。
★寒川
箱館総攻撃時に新政府軍が上陸。
★山背泊
箱館総攻撃時に新政府軍が上陸。
★湯倉神社
土方さんが五稜郭へ進軍する時に脇を通ったそうです。
五稜郭に向かったならこの道を通ったのかな?
★北海道坂本龍馬記念館
北海道には坂本家の御子孫がお住まいだそうで、龍馬の記念館があるんです。
北海道坂本龍馬記念館
坂本龍馬像
記念館の向かいに大きな龍馬像がたっています。
★トラピスチヌ修道院
一般的観光地として行ってきました。
★函館空港のお土産
土方さんのワインと五島軒の明治のカレー買いました。
| |
|