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<行った場所一覧>
芹沢鴨生家
平間家跡
芹沢城址
法眼寺
澤屋商店
手奪橋
虹の塔
東耀寺
伊東甲子太郎生家跡
伊東兄弟の母の実家
志筑城址
俊塾跡
弘道館
水戸城址
水海道河岸跡v
宗道河岸跡
下妻藩陣屋跡
下館城跡
★芹沢鴨生家
芹沢さんの生家です!
芹沢鴨生家
手接明神の石碑
芹沢さんの生家の中にあるみたいなんですけど、中には入れないので…。
芹沢鴨説明看板
★平間家跡
平間家は芹沢さんちの向かいにあったとの記述をみかけたんですけど、この辺でしょうか。
平間家跡
平間家跡?
新撰組史跡事典って本によると平間の生家は行方市芹沢411って書いてあるんだけど、なんか違うような?
一応上記住所の場所はこの写真ですが…。
平間説明板
澤屋商店の隣に看板があります。
★芹沢城址
芹沢さんの先祖が治めていたという芹沢城。
芹沢城址
芹沢城説明看板
★法眼寺
芹沢家と平間家のお墓があります。
法眼寺
芹沢鴨・平間重助の顕彰碑
お梅の顕彰碑
平間家墓所
芹沢家墓所
芹沢さんの兄の芹沢兵部平成幹の名前があります。
芹沢家の由来についてかかれた碑
法眼寺開基之碑
★澤屋商店
平間家の子孫の方がやっているお店らしい。昔は芹沢鴨キューピーが売ってたらしいけど今はなかった~。残念。
★手奪橋
手奪橋は芹沢さんの先祖と関係が深い場所だそうです。
その昔、この地の領主である芹沢の殿様が馬に乗って帰る途中、梶無川の橋を渡っていると、 馬が突然動かなくなってしまった。
殿様が振り返ると、子供くらいの大きさの怪物が馬の尻尾をつかんでいた。
村人を困らせている河童だ、と悟った殿様は刀で河童を切りつけた。
河童は悲鳴を上げて川の中へと逃げ去った。
屋敷に帰り着いた殿様が見ると、馬の尻尾に河童の手がぶら下がっていた。
その夜、河童が殿様を訪ねてきた。
「腕がないと泳げないし、魚もとれません。どうぞ、腕を返してください」
と河童は殿様に哀訴した。
哀れに思った殿様は、河童に腕を返してあげた。
河童は妙薬を使い、返してもらった腕を簡単につなげてしまった。
河童は、腕を返してもらった例として、妙薬の作り方を殿様に伝え、 毎朝、屋敷の前の梅の木に魚を二匹ぶら下げるようになった。
ある朝、魚が届いていなかった。
河童のことが心配になった殿様が家臣に梶無川を探させると、上流の与沢で、腕に傷痕のある年老いた河童が死んでいた。
殿様は祠を建て、恩を忘れなかった河童を祀った。
手奪橋
手奪橋の説明看板
★虹の塔
芹沢さんや伊東さんなど水戸藩に関係のある新撰組隊士の展示をやってるので、みにいってきました。
虹の塔
パネル1
パネル2
芹沢城周辺の図
伊東兄弟の母への手紙
芹沢家伝薬筋渡薬
薬研
鈴木三木三郎の辞令書
伊東の姉ことの勉学ノート
文書「水戸浪士佐原一件」
虹の塔からの眺め
芹沢鴨歌碑
★東耀寺
鈴木三木三郎の墓があります。
東耀寺
鈴木家墓所
鈴木三木三郎の墓
★伊東甲子太郎生家跡
茨城県かすみがうら市中志筑1267-1のビューティーサロンマツのとなりの木が生い茂っているところのようです。
★伊東兄弟の母の実家
下の写真の場所がそうらしいです。
★志筑城址
志筑城址の石碑
志筑城址の説明看板
★俊塾跡
俊塾は伊東甲子太郎の父の私塾でした。
★弘道館
水戸藩の藩校ですね。会津戦争で斎藤さんともに如来堂で戦った久米部正親らはその後旧幕府軍とともに弘道館で戦ったそうです。
弘道館正門
弘道館正門の弾痕
弘道館
徳川慶喜向学の地の石碑
慶喜が謹慎していた部屋
慶喜の長持ち
戟門
孔子廟
学生警鐘
要石歌碑
八卦堂
鹿島神社
種梅記碑
★水戸城址
徳川斉昭公像
大手門跡
大手橋
水戸城本丸跡、薬医門
★水海道河岸跡
土方ら旧幕府軍全軍は、この水海道河岸から宗道河岸まで舟で進んだようです。
★宗道河岸跡
「谷口四郎兵衛日記」の4月16日に、『夜に至り、宗道川岸に兵隊整列す』と出てくる‘宗道河岸’は、この付近だったようで、神社の出入り口に河岸の説明板があった。
宗道河岸跡
宗道神社入口
宗道神社本殿
天然記念物大欅
★下妻藩陣屋跡
旧幕府軍の先鋒軍の将、秋月登之助が精鋭400名で取り囲み、軍事協力を要請した。
城山稲荷神社
下妻第一高校
城山稲荷神社に残る土塁
★下館城跡
土方さんが250名の兵を率いて下館城を取り囲み、軍事協力を要請した。
下館城西城(出丸)跡
下館藩主石川総管屋敷前
城山八幡神社(下館城本丸跡)入口
城山八幡神社本殿
城山八幡神社の下館城址碑
下館小学校(下館城二の丸、三の丸跡)
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