. 新選組関連事件



<行った場所一覧>
天満屋事件跡(中井正五郎殉難の地)
清河八郎暗殺未遂の地跡(下京区堀川通四条)
興正寺
四条大橋
三条河原
三条大橋
三条制札場跡
三条会所跡
豊後屋跡
明保野亭跡
九条河原
大徳寺
祇園石段下
竹田街道銭取橋



★天満屋事件跡(中井正五郎殉難の地)
下京区油小路旧花屋町下る仏具屋町
京都市下京区油小路旧花屋町下る仏具屋町。ここは斎藤さんが大活躍した地ですね。紀州藩の三浦休太郎はいろは丸沈没事件で坂本龍馬ともめた経緯があったため、坂本龍馬暗殺の黒幕として疑われ、海援、陸援隊の人たちが三浦を殺そうと画策していたんです。そこで、用心棒として斎藤さんたちが天満屋に詰めて三浦を警護していたんですね。天満屋でお酒を飲んでいて、熱くなってきたから斎藤さんは鎖帷子を脱ごうとしたんだけど、なかなか脱げないので四苦八苦していたところにちょうど中井正五郎らが攻め込んできたため、今度はその鎖帷子が役に立ったとの逸話がありますね。

















★清河八郎暗殺未遂の地跡(下京区堀川通四条)
ここで清河八郎は暗殺されそうになりましたが、難を逃れています。 下京区堀川通仏光寺の方は見そびれてしまった…というか場所勘違いしてた……orz

















★興正寺
下京区七条通堀川上る花園町70
紀州藩家老が海援隊に襲われるも、土方ら新撰組の警護により難を逃れたとの逸話あり。

















★四条大橋
文久3年3月、浪士隊(新選組の前身)の京都残留者のとりまとめを 会津藩より命ぜられた殿内義男が、 近藤勇一派によって四条大橋で惨殺されました。殺したのは沖田さんですよね。
また、慶応3(1867)年1月には沖田総司、永倉新八、斎藤一の3人が十津川郷士・中井庄五郎、土佐藩士・那須盛馬と四条大橋で出会い、斬り合いになったらしいですがこれはそこまで信憑性がないみたい。でも、もしほんとなら、斎藤さんは天満屋事件よりも前に、中井と戦ったことがあるってことなんだよねえ。

















★三条河原
足利将軍木像梟首事件の時に、木像の首がここにさらされた。近藤さんの首も三条河原にさらされたので、この辺にさらされていたのかな。

















★三条大橋
浪士組上洛の際にこの橋を通ったと言われています。それから、三条制札事件もこのあたりですね。
三条大橋
















三条大橋の擬宝珠の刀傷
池田屋事件の時についたと言われています。

















★三条制札場跡
中京区三条大橋西詰北側
三条制札事件といえば、原田さんが活躍した事件ですね。

















★三条会所跡
中京区木屋町通三条下る東入る
三条制札事件の時に、原田さんが詰めていたところ。ここから三条制札場跡へ出動。

















★豊後屋跡
東山区三条大橋東入る南側
土方らが天誅組の古東を捕縛。これが新撰組の初めての手柄と言われています。

















★明保野亭跡
東山区清水二丁目
新撰組と会津藩士による土佐藩士誤認捕縛事件の舞台(明保野亭事件)。 この事件で、会津・土佐両藩士が自刃した。その時自刃した会津藩士が柴司で、金戒光明寺にお墓があります。
明保野亭跡
















明保野亭跡碑

















★九条河原
伏見区深草西川原町(勧進橋東側付近)
禁門の変の時に新撰組が宿陣。銭取橋のすぐ近く。こんな御所から遠いところに宿陣させられていたとは、完全に予備兵扱いだなー。

















★大徳寺
北区紫野大徳寺町
土方歳三と渋沢栄一が大沢源次郎という人を捕縛した地だそうです。
大徳寺総門
















勅使門
















三門
















仏殿
















法堂

















★祇園石段下
東山区祇園町北側
大石鍬次郎の弟、大石酒造蔵が殺された。 谷三十郎が殺された地との説もあり、その場合は下手人は斎藤さんってことになってるけど、信憑性は微妙らしい。
写真は八坂神社の石段の下。
祇園石段下
















八坂神社

















★竹田街道銭取橋
南区東九条柳下町、伏見区深草西川原町
子母澤寛の小説的には、ここは斎藤さんが武田観柳斎を殺害したところなんですよね。ほんとかどうかはわからないけど。ここ、すごい中心部から遠いんです。現在は勧進橋という名前になってます。




















*Back