. 北斗市(二股口など)、稲倉石古戦場跡、館城跡



北斗市には、土方さんが守り抜いたことで有名な二股口古戦場の他に、松前藩戸切地陣屋跡、意冨比神社、川濯神社など、箱館戦争の史跡がいろいろあります!いつかもっと詳しくめぐってみたい。
北斗市郷土資料館にも行きたかったけど、調べ不足で行けず…。16:00に閉まるなんて早いよー。いつか行ける日がきたらいいなー。
あと、二股口が立ち入り禁止になってた。まあ、熊が出たら怖いからいかなくてある意味正解だったかも。でも一回くらい見てみたいんだよねー。北斗市郷土資料館でたまに二股口ツアーやってるっぽい?あと、土方歳三資料館主催の旅行でも行ったみたいね。

<行った場所一覧>
二股口古戦場跡
川濯神社
松前藩戸切地陣屋跡
意冨比神社
稲倉石古戦場跡(もうひとつの碧血碑)
館城跡


★二股口古戦場跡
土方さんファンなら絶対に訪れてみたい二股口!
乙部、江差方面から攻めてきた新政府軍600名と土方さん率いる伝習隊、衝鉾隊300名が戦闘。
第1次二股口の戦いは明治2年4月13日から14日に行われ、新政府軍側が稲倉石へ撤退。第2次二股口の戦いは23日から24日に行われ、伝習隊滝川充太郎らの活躍もあり、新政府軍側が敗走(薄桜鬼のアニメにも、滝川って人出て来てましたよね!)。29日に矢不来の旧幕府軍が敗走すると退路を断たれる恐れが生じ、撤退せざるを得なかったのですが…。土方さんが兵士たちにお酒を一杯ずつふるまったっていう逸話があるのもここですね。土方さんが守り抜いた二股口にこれて幸せ〜。
でも、二股口古戦場の塹壕などがある場所に続く道は立ち入り禁止になってて見れませんでした。入るなとまで書かれたら入れないですよね〜。
あと、下二股橋の台場山側の袂に土方歳三二股口激戦之地木碑ってのがあったらしいんだけど、見つけられず。なんか相当ぼろい木柱だったみたいだから、朽ち果てた可能性もあるのかも。

二股口古戦場入口
















二股口古戦場入口の説明看板
















土方歳三二股口激戦之地
先ほどの入口からやや進んだところにある。
















古戦場跡の矢印
この矢印に沿っていけばいいはずなんですが…。
















二股口古戦場の塹壕などがある場所に続く道
ご覧の通り立ち入り禁止でした!!もし二股口ツアーが開催されるならば行ってみたい。
















台場山
二股口古戦場のある台場山。
















新政府軍陣地
ここから入ると新政府軍陣地に行けるみたいです。
















佐藤安之助の墓の説明看板
墓自体はもっと奥に進むとあるみたい。二股口の戦いで戦死した新政府軍の方らしい。

















★川濯神社
二股口に向かう途中、土方隊が宿泊したと言われているところです!ここの栗の木は榎本さんの命で植樹されたものらしいんだけど見逃した〜!どこだ〜??
川濯神社入口
















川濯神社本堂

















★松前藩戸切地陣屋跡
ここには北方警備のため、幕府の命で松前藩が築造した陣屋がありました。形は西洋式四稜堡です。大鳥さんが作った四稜郭と違ってでかいwww
明治元年10月24日、鷲ノ木から箱館を目指す旧幕府軍と陣屋守備隊は大野付近で交戦。陣屋守備隊は敗れ、戸切地陣屋に火を放って敗走しました。
搦手門
復元されている。
















大手門
これも復元されています。
















戸切地陣屋跡石碑(入口)
















戸切地陣屋跡石碑(内部)
















戸切地陣屋跡内部
















戸切地陣屋の土塁と堀

















★意冨比神社
明治元年10月24日、峠下から五稜郭へ進軍する大鳥圭介部隊と、阻止しようとする官軍藩兵とが市渡で遭遇戦になり、意冨比神社境内を中心に戦闘が開始されて白兵戦となりました。それがこの神社であり、弾痕がイチイの木に残っているのです!
意冨比神社入口
















意冨比神社本堂
















イチイの木
















イチイの木の弾痕
右上の円形の穴がそうらしい。
















忠魂碑
















大野稲荷神社
意冨比神社の境内にありました。

















★稲倉石古戦場跡
松前軍が、1868(明治元)年11月12日に旧幕府軍と交戦した古戦場。
稲倉石古戦場跡
今はダムの底に沈んでしまっています。
















もうひとつの碧血碑
大正8年に松前藩戦死者の慰霊碑として建立されたそうです。ダムができる時にここに移されたそう。

















★館城跡
館城は戊辰戦争の時に、2ヶ月という超急ピッチで建設された平城です。 明治元年10月28日、旧幕府軍の松前攻撃によって松前藩主松前徳広は館城に避難。しかし、滞在したのはわずか2週間ほどで、11月12日には江差へ敗走した藩士たちの督励に向かうということで館城を退去。11月15日朝、旧幕府軍松岡四郎次郎は館城の攻略を開始し、わずか4時間ほどの戦闘で陥落してしまった。
館城跡
















館城跡の碑
















井戸
















礎石
















米倉跡
















西へのびる堀
















北東部の堀と柵
















三上超順力試之石
三上超順は僧侶だったのですが、11月15日に館城が旧幕府軍に攻められた時に、正義隊隊長を務めていました。三上は右手に大刀、左手に盾代わりのまな板を携えて、味方を逃がすため単身旧幕府軍の前に立ちはだかり、旧幕府軍指揮官・伊奈誠一郎を殺傷するも、横田豊三郎、堀覚之助、黒沢正介らによって斬殺されてしまいました。それにしても、まな板で銃弾が防げるとは思えないけど…。
















館城跡ミニ資料館
















館城跡のお城?




















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