. 函館



念願の函館に行ってきました!新撰組最期の地ですし、土方さんが亡くなられた地ですから、絶対に行きたかったんです。

<行った場所一覧>
五稜郭、五稜郭タワー
函館奉行所(五稜郭内)、函館奉行所跡(元町公園)
弁天台場跡
称名寺跡(幕末時)
沖之口番所跡
丁サオオノ跡
山上大神宮(現在)
咬菜園跡
武蔵野楼跡
権現台場跡(神山稲荷神社)
北海道東照宮(現在)
四稜郭
函館水天宮(朝陽のカロナーデ砲)
箱館病院跡(幕末期、明治38年以降)
函館山
千代ヶ岡陣屋跡
中島三郎助父子最期の地
一本木関門(若松緑地公園内)
鶴岡町
異国橋跡
亀田八幡宮
碧血碑
大円寺
極楽寺
本願寺函館別院(願乗寺)
称名寺(現在)
実行寺(現在)
高龍寺(現在)、高龍寺跡(幕末時)
函館護国神社
己巳役海軍戦死碑
八幡坂(田本研三の写場跡)
湯の川温泉
土方歳三函館記念館
市立函館博物館
旧北海道庁函館支庁庁舎(函館市写真歴史館)
五島軒(五島軒函館カレーEXPRESS、五島軒本店)
ラッキーピエロ五稜郭前店(土方歳三ホタテバーガー)
新島襄の像
新島襄海外渡航の地碑
聖ハリストス教会
旧函館区公会堂
カトリック元町教会
外国人墓地


★五稜郭
箱館戦争で旧幕府軍がたてこもっていた場所!ここに土方さん、榎本さん、大鳥さんみんないらっしゃったのね!
五稜郭入口
















五稜郭説明看板
土方さんや榎本さんのことがかいてあります。
















半月堡
門から出てくる人馬が直接見えないように工夫したもの。
















二の橋
















石垣
















見隠塁
敵が本陣に直行するのを防ぐ役目。
















供溜腰掛跡
















兵糧庫
五稜郭内左側にある土蔵造りの建物。解体をまぬかれた唯一の建物。内部が期間限定で見られるらしいが、この時は見られなかった。
















板庫跡
現在はお店になってます。
















大砲
箱館戦争当時使用されていた大砲2門。 弁天岬台場を側面から援護する築島台場にあった鋳鉄砲と、新政府軍の朝暘の艦載砲
















土饅頭
ここにもしかすると、土方さんと伊庭八郎が埋められていたかもしれないらしい。
小島鹿之助『両雄士伝』に「従士、(歳三の)屍を担いて五稜郭に還り、壙を穿ちて之を葬る」とある。さらに、明治32年9月10日、上野東照宮で開かれた「伊庭八郎を偲ぶ会」でその出席者の一人が「八郎君の墓は箱館五稜郭、土方歳三氏の墓の傍らにあり。」と語った。 明治11年の土塁修復工事の際に夥しい遺体が発見されたが、それらはすでに願乗寺へ改葬されている。

















★五稜郭タワー
ガイドツアーもやってます。聞きましたが、結構おもしろかったですよ。箱館戦争に興味あるならぜひ聞いてみてください!
箱館戦争供養塔
五稜郭タワーの脇にあります。
















五稜郭タワー
















土方歳三像
アトリウムにある土方さんの像。
















榎本武揚像
アトリウムにあります。
















武田斐三郎像
アトリウムにあります。五稜郭を設計した人。
















土方歳三像
展望台にある土方さんの銅像。
















タワーからの眺め
五稜郭ってほんとに星型。
















稜堡
星型の先端部分。かつては大砲を設置していました。
















半月堡
ほんとは五か所に作ろうと思ってたんだけど、予算の関係で一か所になったとのこと。
















下北半島
本州も見えます!斗南藩はあの辺にあったのか…。

















★箱館奉行所(五稜郭内)
五稜郭の中心部にあります。2010年に部分復元が完成、内部が公開されています。
箱館奉行所外観
















太鼓櫓
甲鉄艦の砲撃をうけたそうです。海から結構遠いのに当たるなんてすごいよね。
















箱館奉行所前の井戸
















大広間
















榎本さんの書
箱館奉行所内にありました。
















武器置場
















表座敷
















中庭と太鼓櫓
















小屋組
















御役所調役
















定役元締 定役手附
















同心組頭 同心使役役所
















太鼓櫓の階段
かなり急ですね。
















式台の埋め甕

















★箱館奉行所跡(元町公園)
蝦夷地開拓・統治のため享和2年(1802年)に徳川幕府は現在の元町公園に箱館奉行所を設置しました。しかし、この場所は海から近く、海上から大砲で射撃される可能性が高かったため、元治元年(1864年)に五稜郭内に箱館奉行所は移転しました。

















★弁天台場跡
元々は五稜郭の支城として建てられた台場。 かつては海に突き出た台場だったが、明治時代に海が埋め立てられることになったため、とり壊された。 その時、石垣が堅牢だったため、崩すのに苦労したと言う。
「弁天台場跡」の木碑
函館どっくの裏門前。
















「新撰組最後の地」の石碑
市電の終点「函館どっく前」横にある児童公園にある。
















弁天岬台場跡の看板
これも児童公園内にある。
















舟入澗防波堤
台場の石垣石が使われている。函館港改良工事で造られた石積防波堤が現存。
















函館港改良工事紀念碑
舟入澗防波堤のところにある。

















★称名寺跡
新選組の屯所になったお寺で、今はホテルになってます。ここに宿泊しました!
向かいの弥生小学校の一部も、称名寺跡です。
東京日野市金剛寺の過去帳に、箱館の称名寺に土方歳三の供養碑があり、鴻池手代大和屋友次良の建立とあるが、称名寺は明治期に3度の大火に見舞われており、供養碑は消失している。
函館元町ホテル
















函館元町ホテルの看板
















函館元町ホテルの蔵
ここにも泊まれるらしい。景観に一役買っている。
















屯所の湯
お風呂が屯所の湯って名前でした。屯所プッシュしてますねえ。

















弥生小学校
この写真のあたりは称名寺跡だけど、同じ弥生小学校内のもうちょっと南側のあたりには、能量寺って寺が昔あって、日野の高幡不動尊の過去帳に「土方歳三の碑を箱館納涼寺に建立した」という記述が残されているとのこと。 しかし、明治11年ここ一帯は大火で消失。

















★沖之口番所跡
新撰組の函館市内重要警備拠点でした。 函館市臨海研究所があるところ。
北海道函館市大町13-1
沖之口番所跡
















沖之口番所跡の看板

















★丁サオオノ跡
土方歳三の宿所になっていた場所。ここを拠点に土方さんは活動していた。
北海道函館市大町9-4あたりってネット上に書いてあったのでそこに行ってきたんだけど、あとで本とかみると、函館市大町2-14、15ってかいてあるのよね…。下の写真は北海道函館市大町9-4の方です。今度、函館市大町2-14、15にも行ってこなくては…。

















★山上大神宮(現在)
ここは、箱館戦争の時に、桑名藩主松平定敬の御座所とされたところです。すごい坂の上にあります。
幕末のころは、現在の西消防署弥生出張所のあたりにあったらしい。そっちは行ってないので今度行きたい。
山上大神宮入口
















山上大神宮本堂

















★咬菜園跡
明治2年(1869)3月4日、旧幕府軍追討令が下り官艦が品川を出港したとの報を聞いた榎本以下幹部6人は、咬菜園で今宵最後と夜通し飲み明かしたと伝わります。土方さんがいたかどうかは分からないけれど。北海道函館市船見町3-8
咬菜園跡
















咬菜園跡の看板

















★武蔵野楼跡
1869年5月11日の新政府軍による箱館総攻撃の前夜に、箱館政府軍が宴会を開いた場所。史実では、この宴には新選組からは土方歳三、相馬主計、大野右仲が参加していた。ここは当時、東京より北では最も豪華な妓楼で、三層楼に屋上庭園を備えた立派なものだった。
現在は、池見石油というガソリンスタンドになっています。北海道函館市豊川町10-1

















★権現台場跡(神山稲荷神社)
北海道東照宮があった場所で、箱館戦争に際し、四稜郭と五稜郭とを結ぶ重要な拠点として土塁が築かれ、権現台場として利用された。明治2年5月11日の戦火により、旧東照宮の社殿は焼失。権現台場が長州藩兵に占拠されたことにより、退路を断たれることを恐れた四稜郭の旧幕府軍は五稜郭へ向けて敗走した。
焼け残った「狛犬」と「手水鉢(当時の弾痕が残る)」は現在の移転した東照宮(北海道函館市陣川町)にある。
神山稲荷神社鳥居
参道に御影石の大鳥居が当時のままある。
















神山稲荷神社本堂
















本堂裏の土塁

















★北海道東照宮(現在)
現在の神山稲荷神社のあった場所にもともとはあったが、戦火で焼けてしまったので現在の位置に移転。 焼け残った「狛犬」と「手水鉢(当時の弾痕が残る)」がある。
参道の鳥居
















東照宮入口
















東照宮本堂
















手水石
















手水石の弾痕痕
















焼け残った「狛犬」

















★四稜郭
五稜郭の北側にあり、五稜郭の支城になるように土を積み上げて作った急造の土塁。 大鳥さんの指揮で作ったみたいです。 しかし、実際は新政府軍が五稜郭との道をふさごうとする動きがあったため、守備兵達は四陵郭を放棄して五稜郭へ退却した。
四稜郭石碑
















四稜郭
















砲台のあったところ

















★函館水天宮
ここには、新政府軍の軍艦、朝陽のカロナーデ砲があります!
函館水天宮
















朝陽のカロナーデ砲

















★箱館病院跡(幕末期、明治38年以降)
箱館病院跡(幕末期)
箱館病院は、幕末のころは弥生町8番地にありました。
榎本武揚とともに箱館にやってきた高松綾雲は、箱館病院で敵味方関係なく患者の治療にあたったといわれています。 また、明治2年5月12日、新政府軍は旧幕府軍が武装を解除し保護下に置いていた箱館病院に使者を送り、台場と五稜郭への和議を依頼したと言われています。
















箱館病院跡(明治38年以降)
箱館病院は、明治38年に弥生町2-3に移転し、そこに説明看板があると読んだので見に行ったのですが、ごらんのように看板は撤去されてもうありませんでした…。上の写真のところにあったみたいなんですが。
現在はペリー広場になっていて、ペリー像がありました。

































★函館山
新政府軍は函館山を乗り越えて弁天台場に攻め込んできました。それを助けようと出陣した土方さんは一本木関門で戦死します…。
函館山
五稜郭タワーから見た函館山。
















函館山頂上
















御殿山第二砲台跡
明治28年、日清戦争終結後に、日露戦争を想定して函館山を要塞化したときにつくられたものらしい。
















函館山の夜景
とても夜景がとても有名ですよね。綺麗です。

















★千代ヶ岡陣屋跡
千代ヶ岡陣屋跡
北海道函館市中島町37あたりの陣屋通り沿い。5月11日、弁天台場が孤立すると、新選組隊士(陸軍奉行添役)の大野右仲が援軍を求め五稜郭に向かいました、その途中、この陣屋で額兵隊二小隊を率いた土方歳三と出合ったといいます。 大野は土方と一緒に一本気関門までいき、一本木関門を抜けて弁天台場に向かいました。しかしなぜか途中から兵が引いてくるため、大野も千代ヶ岡まで敗走したところ、安富才助と大島寅雄から土方の戦死を聞かされました。

















★中島三郎助父子最期の地
中島三郎助父子最期の地
箱館税務署近くの交差点(中島町38の交差点)の島中にあり。 この一帯は津軽藩千代ヶ岡陣屋があった場所。中島三郎助は元浦賀奉行与力だった人物で、ペリーの黒船に乗って最初に対応した人物である。箱館戦争へは、長男恒太郎、次男英次郎と共に参加、降伏勧告も最期まで撥ねつけ、 明治2年5月14日この千代ヶ岡陣屋にて父子3人戦死した。

















★一本木関門(若松緑地公園内)
現在、若松緑地公園内(北海道函館市若松町33-6)に、一本木関門が復元されているのですが、後で本で知ったのですが、実際の一本木関門は、この近くにあったのであって、この場所ではないのだそうです。なんだってー!またリベンジしなければ…。実際の一本木関門は、松前街道と松川街道が合流する地点の亀田川の支流沿いにあったらしいです。
一本木関門
土方歳三は一本木関門付近で1869年(明治2年)5月11日に銃弾で撃たれ亡くなったとの説が有力。他にも死亡地説はありますが(鶴岡町と異国橋)。
















土方歳三最期の地碑
















土方歳三最期の地の看板

















★鶴岡町
現在の函館市大手町。このあたりで土方は撃たれて死亡したとの説あり。

















★異国橋跡
栄国橋・永国橋ともよばれていた。ここで土方さんが撃たれて亡くなったとの説あり。 現在の十字街警察派出所の所。
北海道函館市豊川町7-31
異国橋跡
















異国橋跡の看板

















★亀田八幡宮
降伏後、榎本さんたちがこの神社にて降伏の宣誓をしたとのことです。
箱館戦争降伏式之地碑
















神輿殿
昔の本堂でした。この付近でも市街戦が行われたらしく、羽目板に箱館戦争時の弾痕が残っています。
















神輿殿の弾痕
















工藤茂五郎の奉納した鳥居
工藤茂五郎は、松前藩最後の箱館奉行でした。

















★碧血碑
新撰組土方歳三や中島三郎助などの函館戦争で戦死した函館政府軍(旧幕府軍)約800名が祭られている慰霊碑です。 題字は、箱館戦争当時陸軍奉行であった大鳥圭介の筆と言われている。 碧血とは「義に殉じて流した武人の血は3年たつと碧色になる」との中国故事による。 碧血碑に祀られている新選組隊士は、土方歳三・野村利三郎・三好胖・小久保清七・蟻通勘吾・武内武雄・佐治寛・粕谷十郎・長嶋五郎作・乙部剛之進・津田丑之助・栗原仙之助・白戸友衛・勇二郎・惣八・玉置良三の16名。
碧血碑
















碧血碑右裏の自然石
土方歳三の遺骸が埋葬されたという説がある。確固たる話ではないが、島田魁の手記に、箱館にて討死1998人、箱館正魂社相建ち葬り有り。我隊長土方公もその正魂社の側に石台相建ち候なりと書いてあります。
















徳川儀士宮田登輔の墓
















紅更紗灯台(ベニサラサドウダン)
高龍寺にあったのと同じく、会津若松市から。
















柳川熊吉の義碑
新政府軍は旧幕府脱走軍戦死者の埋葬を許しませんでしたが、 それに異を唱えたのが侠客の柳川熊吉です。 熊吉は実行寺住職の日隆らの協力を得て、打ち首を覚悟しながらも、 町中に放置されている遺体を回収していきます。 結果的に処刑を免れた熊吉は、函館山の山腹に土地を購入し、 実行寺に収めていた遺体を改葬しました。 7回忌にあたる1875(明治8)年には、大鳥圭介や榎本武揚らの協賛を得て、碧血碑を建てました。

















★大円寺
箱館奉行役宅墓、官修墓地、五稜郭築造の際の殉難者を埋葬した無縁塚、旧幕府脱走軍、函館府在住隊の墓などが境内にある。大円寺二本松、大円寺無縁塚には、土方歳三が埋葬されたという説があるそうです。
大円寺二本松
歳三の馬方だった吉田松四郎は5月11日、歳三と共に一本木一帯の戦に参加、戦死した歳三の遺体を馬で五稜郭に運び通夜を営んだ後、神山村の浄土宗無量庵(現大円寺)墓地内の二本松の下に歳三の遺体を埋葬したとの説あり。
















大円寺無縁塚
もともとは、五稜郭築造の際の殉難者を埋葬したもの。 吉田松四郎が50年たった大正7年に、二本松の下の歳三の仮の墓を掘り返し歳三の遺骨、副葬品の鎖帷子、小刀を無縁塚に改葬したとの説あり。
















大円寺入口

















★極楽寺
土方歳三の遺骸が埋葬されたという説がある。
島田魁は一本木関門で戦死した歳三の遺体を亀田七重の念仏堂の縁の下に隠し、後年明治20年になって島田は歳三の遺体を改葬したという説がある。その亀田七重の念仏堂とは、この極楽寺のことらしい。

















★本願寺函館別院
土方歳三の遺骸が埋葬されたという説がある。
本願寺函館別院は、昔は願乗寺といった。明治11年の五稜郭土塁修復工事の際に土饅頭で発見された遺体は前述のように土方歳三の遺体も含まれていた可能性があるが、それらの遺体は願乗寺へ改葬され石碑も建てられた。しかし、願乗寺はその後幾度か火災に見舞われてその石碑は現在はない。
願乗寺に埋葬されていた遺体は明治16年に再移葬されたとのことだが、その場所ははっきりしないそう。 再移葬先は函館山のどこかとの説や、この寺の境内という説がある。

















★称名寺(現在)
東京日野市金剛寺の過去帳に、箱館の称名寺に土方歳三の供養碑があり、鴻池手代大和屋友次良の建立とある。しかし、称名寺は明治期に3度の大火に見舞われ消失しており、現在の慰霊碑は別物。 この寺は新選組の仮屯所にもなっていた。 もともとあった場所は、函館市大町4-6(函館元町ホテルの場所)で、新選組の屯所でした。
土方歳三慰霊碑
本堂左脇にある。野村利三郎義時、栗原仙之助、糟屋十郎、小林幸次郎の4名の新撰組隊士の名前も刻まれている。
















称名寺入口
















称名寺本堂

















★実行寺(現在)
幕末当時には、弥生小学校の近くにあったみたいです。
明治2年(1869)箱館戦争終結後、旧幕府軍戦死者の遺体が市中に放置されたままになっていた際、侠客柳川熊吉が市内の遺体を回収し、これに実行寺の住職が賛同、寺の境内に埋葬した。(多くの遺体については、後に碧血碑に改葬されている)
実行寺入口
















旧幕府軍戦死墓
















諏訪常吉墓
会津藩士。松平容保が京都守護職をしていたころは、諏訪常吉は公用方だった。
















日向君招魂碑

















★高龍寺(現在)、高龍寺跡(幕末時)
箱館戦争時は箱館病院の分院として使用されていた場所です。 とはいっても、明治に入ってから移転したので、実際に箱館病院の分院として使用されていたのは別の場所ですが。(当時の位置は、当時あったのは、函館市弁天町13-4あたり。)
高龍寺(現在)入口
















高龍寺(現在)本堂
















傷心惨目の碑
榎本軍の負傷兵達がここで治療を受けていたが、そこに新政府軍が襲撃し 負傷して抵抗できない会津藩士13名が斬殺され、建物に火をつけると言う事件が起きた。 後に元会津藩の関係者がその事を悼んで傷心惨目の碑を建立したという。
















紅更紗灯台(ベニサラサドウダン)
昭和55年に旧会津藩主松平容保の孫で、当時福島県知事であった松平勇雄氏により会津の山地に広く自生する「紅更紗灯台(ベニサラサドウダン)」というツツジ。
















会津中老田中玄純墓
















高龍寺跡(幕末時)
函館市弁天町13-4あたり。

















★函館護国神社
箱館戦争での新政府軍戦死者を葬った官修墓地。 戦後直ぐ、津軽海峡に面した大森浜で慰霊祭が行われ、直ちに招魂場の造成に取り掛かり、のちにこれが現在の護国神社となった。 造成させられたのは、降伏した旧幕府軍兵士達で、明治2年8月に完成した。165柱が祀られている。
函館護国神社入口
















函館護国神社本堂
















新政府軍の墓
















斉藤順三郎の墓
旧幕府軍を裏切って弁天砲台に釘を打ち込んで使用不可能にし殺された斉藤順三郎の墓。
















「招魂場」の石碑

















★己巳役海軍戦死碑
己巳役海軍戦死碑
5月21日1箱館湾海戦で新政府軍艦朝陽は、旧幕府軍艦蟠龍の砲弾を受けて沈没した。 この石碑には、朝陽艦副艦長夏秋又之助以下73名の死者名が刻まれ、また甲鉄、朝陽、春日、飛龍などの新政府軍艦名も刻まれている。
















己巳役海軍戦死碑の看板
















函館府在住隊碑
















薩摩藩士和田彦兵衛墓
撃沈された新政府軍艦「朝陽」に乗船。
















薩摩藩士土屋傳太郎直道墓
撃沈された新政府軍艦「朝陽」に乗船。
















薩摩藩士黒阪源右衛門墓
撃沈された新政府軍艦「朝陽」に乗船。

















★八幡坂
函館のガイドブックによく載っている有名な坂ですが…。 この写真でいうと坂途中の右手に、田本研三の写場があったそうです。田本研三は榎本さんや土方さんの写真を撮影した人物と言われています。幕末の時点ではこの場所に写場はあったみたいなので、もしかして土方さんのあの有名な写真はここで撮られたのかも!?

















★湯の川温泉
榎本さんや土方さんなど、旧幕府軍の方々も利用していたという湯の川温泉。私は、ホテル啄木亭というところに一泊しました!
ホテル啄木亭
















夕食
鍋など。
















朝食

















★土方歳三函館記念館
土方歳三函館記念館
函館に来たら絶対に見たい記念館!
















鬼神丸国重
斎藤さんが使っていた刀と同銘。本物の鬼神丸ほしいなー。居合高段者になったら買いたいなあ。
















和泉守兼定
土方さんが使っていた刀と同銘。

















★市立函館博物館
中島登の描いた戦友絵姿を収蔵していることで有名。だが、特別な時じゃないと本物は見れないみたい。
伊庭八郎遺品
確かこれのレプリカが、旧前川邸のグッズ売り場にうっていたような…。
















中島登の脇差
















中島登の鉄扇
















中島登のキセル
















高松綾雲に榎本武明が送った降伏拒否の手紙
















箱館大戦争之図
















土方歳三の戦友絵姿(複製)
















山口次郎の戦友絵姿(複製)

















★旧北海道庁函館支庁庁舎(函館市写真歴史館)
土方さんの写真は函館で撮られたという説が濃厚なので、写真歴史館にもいってきました。昔の函館の写真がたくさん展示してあって、幕末当時もこんな感じだったのかなあ、なんて思いながら眺めてました。

















★五島軒
五島軒函館カレーEXPRESS
五稜郭タワーにあります。五島軒の初代料理長は、箱館戦争の時に五稜郭にたてこもって戦っていた人なんだそうです。
















あいがけカレー
左が明治時代のカレー。右が大正時代のカレー。
















五島軒本店
ちなみに本店はこちら。函館市末広町4-5

















★ラッキーピエロ
ラッキーピエロ五稜郭前店
五稜郭タワーの向かいにあります。土方歳三ホタテバーガーを食べねば!
















土方歳三ホタテバーガー
ホタテフライが入っています。結構ボリューミー。おいしいです。

















★新島襄の像
新島襄は函館からアメリカに渡航したので、それをイメージした像。実際の渡航地はもうちょっと離れたところにあり、碑がたってます。

















★新島襄海外渡航の地碑
ここから襄はアメリカに旅立ったようです!

















★聖ハリストス教会
アメリカ渡航前に新島襄がお世話になっていたところらしい。

















★旧函館区公会堂

















★カトリック元町教会

















★外国人墓地

















★ウニ・イクラ・カニ丼
きくよ食堂というところで食べました!うまかった〜!























*Back